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横浜地方裁判所 昭和55年(ワ)2301号 判決

原告

能見藤江

右訴訟代理人

鈴木光春

井口寛二

被告

富国企業株式会社

右代表者

金子雅昭

右訴訟代理人

大谷喜与士

山本英勝

主文

一  被告が横浜地方法務局所属公証人鈴木信次郎作成昭和五五年第三二〇号債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基づき、昭和五五年九月二六日なした別紙被差押債権目録記載の債権に対する強制執行は許さない。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分しその一を被告の負担としその余を原告の負担とする。

四  主文第一項掲記の強制執行はこれを停止する。

五  この判決は前項に限り仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

(甲事件〈編注・所有権移転登記抹消登記手続請求事件〉について)

一請求原因事実はすべて当事者間に争がない。

二そこで本件譲渡担保契約の抗弁について判断する。

1  抗弁1及び2の主張につき検討するに、〈証拠〉を総合すると、被告が加藤に対し、建設雇用協会振出の金五〇〇〇万円、金二〇〇〇万円、金二五〇〇万円の三枚の約束手形を割引き、右金五〇〇〇万円については森谷建設と森谷の保証を得て担保手形の交付を受けていたこと、その後森谷は被告に対し、建設雇用協会振出の金五〇〇〇万円の手形の取立の見込がついたので、この手形及びこの担保のために交付した手形ならびに建設雇用協会の役員作成の決済約定書の交付を求め、昭和五五年一月二四日これらの交付を受け、その代りに森谷、森谷建設が更めて貸付の形にして金九五〇〇万円の債務(弁済期昭和五五年二月二五日、利息年一割、遅延損害金年三割)を負担することを約したこと、その際森谷が原告のためにすることを示して、右貸金債務の担保として本件譲渡担保契約を締結したことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

2  しかし、森谷が本件譲渡担保契約締結の代理権を有していたとの被告の主張は、以下のとおり理由がない。

(一)  被告の主張にそう甲第四号証(委任状)及び乙第二号証(譲渡担保契約書)があるけれども、これらの原告名下の印影が原告の印章により顕出されたことは当事者間に争がないが、〈証拠〉を総合すると、右甲第四号証、乙第二号証の原告名下の印影は、本件譲渡担保契約締結の際に森谷が原告の印章を冒用したものと認められるので、結局原告の意思に基づいて押捺されたものと認められないから、右甲第四号証、乙第二号証は本件譲渡担保契約締結の代理権授与の事実を認める証拠とならない。

(二)  又森谷が本件建物につき、原告より売却の権限を与えられていたことについては当事者間に争がないが、売却行為は対価を得て所有権を移転する行為であるのに対し、本件譲渡担保契約は他人の債務の担保の為、登記簿上所有権を移転する行為であつて、両者は経済的効用を異にし、いわゆる大は小を含む関係ではないから、原告が森谷に本件建物の売却の権限を与えたからといつて、その代理権の中には本件譲渡担保契約締結の代理権は含まれないものと解するのが相当である。

(三)  そして他に森谷が原告より本件譲渡担保契約締結の代理権を与えられたことを認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張は理由がない。

三そこで表見代理の抗弁について判断する。

1  森谷が原告から本件建物の売却の代理権を与えられていたことについては当事者間に争いがない。

2 そこで被告において森谷が適法な代理人であると信じ、そう信ずるにつき正当の理由があつたか否かにつき検討する。

〈証拠〉及び当事者間に争ない前記1の事実を総合すれば以下の事実が認められる。

(1) 森谷は、昭和五五年一月二四日被告の事務所において、原告のためにすることを示して本件譲渡担保契約を締結したものであるが、一応その合意ができた段階で、被告の事務所の電話を使つて森谷建設の事務員小林に対し、かねて原告から預かり森谷建設の事務所に置いてある原告の印と本件建物の権利証及び森谷建設の小切手を被告事務所に届けるよう頼むと同時に、原告に電話連絡して原告の印鑑証明書をとらせ、これを受取つて右書類等と一緒に届けるよう電話で指示したこと

(2) 小林は森谷から電話で指示されたとおり原告に電話連絡し、原告から届けられた印鑑証明書二通と、森谷建設の事務所にあつた原告の印、本件建物の権利証、森谷建設の小切手をもつて被告事務所を訪ね、これを森谷に交付した。そこで小林は、森谷、加藤とともに、森谷の指示に従い、持参した原告の印を使用して、乙第一号証(連帯借用証書)の連帯保証人欄と乙第二号証(譲渡担保契約書)の乙欄(設定者)に原告の住所、氏名を記載して原告の印を押捺したこと

(3) 右森谷、加藤及び小林との交渉に当つたのは、被告の代表取締役金子雅明と営業担当の常務取締役松堂朝永であるが、同人らは前記(1)、(2)のとおり事が運んだのを見聞した上、本件建物の登記簿を見せられ、原告が森谷の債務のため本件建物に根抵当権を設定している事実を知り、更にはかねてから原告は森谷の愛人であることを知つていたが(森谷は妻子があり、原告とは同居していない。)、当日森谷から本件建物は実質上自分のものであると聞いたので、同人は森谷が原告を代理して本件譲渡担保契約を締結する権限があるものと信じてこれが契約を締結したこと、その際小林が森谷の指示に従い、委任状(甲第四号証)に原告の住所、氏名を記載し、原告の印を押捺したこと、被告は右委任状と小林が持参した原告の印鑑証明書(甲第五号証)、権利証を用いて本件建物の所有名義を被告に移転登記することを近藤貴に委託し、同人が横浜地方法務局藤沢出張所昭和五五年二月二〇日受付四一九八号をもつて被告に所有権移転登記をしたこと

3 右1、2の事実関係のもとにおいては、被告の代表者金子は本件譲渡担保契約締結に際し、森谷に原告を代理する権限があるものと信じ、そのように信じたことにつき正当な理由があつたものというべきである。

このことは(イ)被告が金融業者であること、(ロ)本件代理行為の経済的利益が実質的に代理人自身に及ぶことを考慮に入れたとしても、被告が原告にその意思を直接確認しなかつたことをもつて被告に過失があるものとは認められず(特に前認定のとおり、森谷の被告事務所からの電話による指示の結果当日発行の原告の印鑑証明書が提出された本件においては、原告が承諾しているものと被告の代表者が理解したとしても無理からぬことであり、更に原告に直接確認を求めなかつたからといつて過失があるといえない。)、右認定を動かすものではない。

そうすると、森谷が原告のためにすることを示して締結した本件譲渡担保契約は、民法一一〇条により原告に及ぶから、本件建物になされた被告の所有権移転登記は、実体上の権利に符号するものであり、その登記手続も前認定の経緯でなされた以上原告に効力が及ぶと認められる。従つて被告の表見代理の抗弁は理由がある。

(乙事件〈編注・請求異議事件〉について)

一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二そこで先ず本件公正証書に記載された原告の執行認諾の意思表示が、原告の意思に基づかないとの主張について判断する。

1 甲第七(本件公正証書)、第八号証(委任状)の記載によると、原告の近藤貴に対して公正証書の作成ならびに執行認諾の意思表示をすることを委任する旨の甲第八号証によつて、近藤貴が原告の代理人として公証人に対し執行認諾の意思表示がなされているものであるところ、〈証拠〉によると森谷は原告から本件建物の売却を頼まれ、本件建物の権利証と原告の印を預かつていたところ、昭和五五年一月二四日被告事務所において、本件譲渡担保契約締結の機会に、権限がないのに乙第一号証(連帯借用証書)の連帯保証人欄と甲第八号証の委任者欄に原告の住所、氏名を記載し、その名下に原告の印を押捺したことが認められるので、森谷が原告名義を用いて近藤貴に執行認諾の意思表示を委任した行為は無権代理行為と認めるほかなく、他にこの認定を妨げる証拠はない。

2 被告は、公正証書の執行認諾の意思表示にも表見代理の規定の適用があるというけれども、公正証書の作成嘱託に際してなされる執行認諾の意思表示は、公証人に対する単独の意思表示たる訴訟行為であるから、私人間の取引の相手方の保護を目的とする民法一〇九条、一一〇条の規定の適用又は準用がないものと解する(最高裁昭和四二年一〇月三一日判決、判例時報五七六号五三頁)のが相当である。

3 そうすると、本件公正証書の原告の執行認諾の意思表示は、代理権のないものによつてなされたものであるから効力を有しないので、その余の点について判断するまでもなく、本件公正証書は債務名義とならないものであるから、これに基づく被差押債権目録記載の債権に対する強制執行は許されないものである。

(結論)

以上のとおり、原告の甲事件請求は失当であるからこれを棄却し、乙事件請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、強制執行の停止ならびにその仮執行宣言につき民事執行法三七条、三六条を適用し、主文のとおり判決する。

(菅原敏彦)

物件目録、被差押債権目録〈省略〉

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